ストーリー
presentation

(シリーズ)アートの境界線に立つ

(このシリーズについて)アートを観る、創る、体験する、学ぶその時、意識に立ち現れざるを得ない「アートとは何か?」という問い。額縁がつけられ、美術館に収められ、ホワイトキューブの中に並べられる作品だけがアートなのか。そのボーダーの上に立ち、日々考える人々に聞く。

第4回 上田假奈代[NPO法人「こえとことばとこころの部屋(ココルーム)」代表]

クレジット

[構成・文]  井出幸亮

[写真(ポートレイト)]  阿部健

読了まで約8分

(更新日)2018年01月22日

本文

表現から遠ざけられてきた人たちが 安心して気持ちを伝えられる場を作る。


 

上田假奈代/うえだ・かなよ

詩人・詩業家1969年奈良県生まれ。3歳より詩作、17歳から朗読をはじめる。92年から詩のワークショップを手がける。 2001年「詩業家宣言」を行い、さまざまなワークショップメソッドを開発し、全国で活動。 2003年ココルームをたちあげ「表現と自律と仕事と社会」をテーマに社会と表現の関わりをさぐる。2008年から西成区(通称・釜ヶ崎)で喫茶店のふりをしながら活動。「ヨコハマトリエンナーレ2014」に釜ヶ崎芸術大学として参加。16年春移転し、「ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム」を開く。大阪市立大学都市研究プラザ研究員。 2014年度 文化庁芸術選奨文部科学大臣新人賞。著書に『釜ヶ崎で表現の場を作る喫茶店、ココルーム』(フィルムアート社)。


自分が変わることで他人も変わる。

子どもの頃から言葉に興味があり、詩が好きだった私は、京都でコピーライターとして働きながら、詩の音読を通してさまざまなジャンルに関わる人々が交流できる場を作ろうと、「住み開き」のような活動をしていました。「自分の気持ちを声に出したり身体で表すことは誰でもできる、専門的な訓練を受けていない人でも何かを表現することができるはずだ」と考えて運営していたところ、生きづらかったり、心が苦しいという悩みを抱えた人も集まってきました。月に一度くらいの交流ではありましたが、それでも彼らと半年も付き合っていると、彼らの表情がだんだん和らいできたんですね。肩書や立場を取り外して自分の気持ちを話し、それに対して応答がある。そういう場があることは、生きているという実感を高めてくれるんだなということがわかってきました。

大阪市西成区「ココルーム」屋上から、釜ヶ崎を望む。

その後、思うところがあってコピーライターを辞め、調理師免許を取り、田舎の温泉宿で働いていた時、最初は同僚の人たちと価値観の違いを感じて居づらかったんです。それでわたしから故郷や子ども時代のことについて色々な質問を投げかけてみると、相手の表情が少し変わって、懐かしそうに話し出す。「自分が変わることで他人も変わる」ということを実感した出来事でもありました。やがて、質問するという手法をつかった詩作のメソッド「こころのたねとして」に展開していきます。

詩人・谷川俊太郎が「ココルーム」の部屋に滞在し、作った詩「ココヤドヤにて」。


表立って語られない人々の声を聞きたい。

それで、調理の仕事よりもやっぱり言葉に関わる仕事に戻りたくなり、旅館を辞めて大阪に移住したら、ちょうどその頃、私が昔から続けていた詩の朗読のイベントがちょっとしたブームになっていました。そうした動きにも関わるようになって、「詩業家」と名乗って詩人として生きていくことに決めると、大阪市から「現代芸術拠点形成事業」の取り組みのひとつとして、新世界フェスティバルゲートという施設の中にスペースを持って運営してみないかと声をかけられました。どんな活動をすべきかと考えましたが、家賃や光熱費を行政が負担するということですから、公共性は担保したい。アートが好き、詩が好きな人だけでなく、色々な人が出会える場ができないかと考えた末、喫茶店なら毎日開いていて、誰もが来やすいんじゃないかと思い至り、舞台もそなえたカフェをオープンしました。演劇や音楽、美術に関わっている若い人たちがスタッフとなり、舞台を作ってライブや芝居などのイベントも開催しました。

2016年にオープンした、「ココルーム」が運営する『ゲストハウスとカフェと庭』。

その頃に始めたのが、スタッフやボランティア、お客さんなどがみんなで一緒にまかないご飯を食べるという仕掛けです。色々な人が参加して、一緒にご飯を食べると、お互いに色々な話をするんですよね。仕事のこと、生き方のこと、人付き合いのこととか、悩み事が語られていく。その中で、社会問題として認識されてはいないような、さまざまな普遍的な課題が社会の水面下に存在していることがわかった。例えば当時はまだ「発達障害」という言葉も知られていなかったけれど、問題を抱えて困っている人がたくさんいることも知りました。そうした中で、2005年に「就労支援カフェ ココルーム」事業を始めます。他者と関わりあう練習となる演劇のワークショップなど色々な活動を行いました。

スタッフと宿泊客、時にはふらりと立ち寄った近所の人たちが一緒に食べることもあるまかないごはん。

その頃、カフェには新世界に隣接する釜ヶ崎で活動する人たちがよく来るようになり、彼らから釜ヶ崎の歴史や背景、現状を教えてもらうことになりました。日雇い労働者が多く住む「ドヤ街」であるこの周辺は当時、野宿者がとても多く、彼らの失業や高齢化という問題、近隣もふくめて難しい状況にありました。日本の高度経済成長を底辺で支えてきた世代が、バブルが崩壊して失業し、路上へと押し出されるようにホームレス化している。厳しい労働環境で、不当な扱いを受けてきたのに「自己責任」を押し付けられている。実際、カフェを一歩出ればたくさんの野宿者に出合うけれど、彼らの存在はあまり表立って語られることがない。福島の原発や沖縄の基地の問題などと同じで、多くの人はあまり話題にしたくないと口をつぐみがちなんですよね。派遣などで働く現代の若者たちのことも、同様ですよね。詩を作る者として、釜ヶ崎の人々の声にならない声を聞いてみたい。でも聞いてどうするのか、という自問自答もあったのですが、好奇心のほうが強かった。そんなことを考えていたところ、新世界アーツパーク事業が頓挫し、行政からの支えがなくなったので、思い切ってココルームを釜ヶ崎の商店街に移転させることにしました。


釜ヶ崎のおじいさんから教えられたこと。

釜ヶ崎の小さなカフェには以前来てくれていた人たちはほぼ来なくなって、地元の人たちが来てくれるようになりました。その中に一人、開店当初から毎日何度もやって来るおじいさんがいました。飲み物も注文せず、人をつねったり、泥棒扱いしたりするので、しょっちゅうトラブルになる。その度に私は店の外に出て話を聴くんです。当時、カフェでは俳句や書道、写生などのワークショップをやっていたので、何度も彼を誘いましたが、いつも断られる。そんなことを1年半ほど繰り返していたら、ある日、彼が「手紙を書く会に参加する」と言い出したんです。いざ座って書こうとすると、彼の手が止まる。「どう書くの?」と聞いてきたんです。そこで、彼があまり字が書けないということがわかった。今までずっと誘いを拒んできたのは、知られたくなかったんですよね。彼は一年半の間、ずっと試していたんだと思います。そういう部分を曝け出しても笑われたり馬鹿にされたりしない場なのか、と。やっと信じてくれたんですね。

近くの山王町で暮らし、2012年、103歳で亡くなった俳人・秋葉忠太郎さんの俳句を展示した「俳人の部屋」もある。

手紙の宛先は養護施設の園長さんで、彼が生まれた時から施設育ちだったということも知りました。この後、この方はを切ったように絵を描き始めました。これまで言えなかった「ありがとう、ごめんなさい」も言うようになった。お金もちゃんと払うようになりました。今でも時々は大げんかもしますよ(笑)。これまで私自身「生きていることは表現だ」と言ってきたのですが、「安心して自らを表現するには、まず自分という存在を認めてくれる場がないといけないんだ」という大切なことを、彼とのやりとりの中で教えられたと思っています。

「ココルーム」が主催する市民大学「釜ヶ崎芸術大学」の書道講座の様子。

移転前の「ココルーム」の向かいに作り、約3年間活動した「カマン! メディアセンター」。


「すべては引き受けられない」ということを引き受ける。

釜ヶ崎と外の人をつなぐメディアセンターを作り、YouTubeで番組を流したりと、色々な活動をする中で、誰もが無料またはカンパのみで参加でき、学び合うことができる市民大学「釜ヶ崎芸術大学」のアイデアも生まれました。色々な分野で活動する方々を講師に迎えて、哲学、天文学、芸術、地理など幅広い講座を開催しています。2016年には近くに移転して、ゲストハウスの運営も始めました。釜ヶ崎は交通の便が良く、旅行客が増えていたこともあり、「この場所にちょっと面白いホテルがあったら、旅人と地元の人との間に意外な交流が生まれたりするんじゃないか。その中で、人とのつながりがサポートできたらいい」と考えたんです。部屋や廊下などの装飾は釜ヶ崎のおじさんたちやボランティア、アーティストたちと協力してしつらえました。一階には出会いの場としてカフェと庭を作り、ここでもやはりみんなでテーブルを囲んでご飯を食べられるようにしています。最近は海外からのお客さんも多いですよ。つい先日も、フランスから来た高校生たちが釜ヶ崎芸術大学の書道のクラスに参加してくれました。

釜ヶ崎芸術大学の芸術の講師も務める現代美術家・森村泰昌と、鹿児島出身の日雇い労働者・坂下範征の出会いの部屋「Our Sweet Home」。坂下の言葉を収集し、釜ヶ崎ゆかりの人たちで書にしたためた。

もちろん異なる背景を持った人同士の出会いは心地よいことばかりではありません。時には面倒なことも起こったりするかもしれませんが、それでもお互いが正直にいれば、何かが生まれることもある。そういう出会いの先に信頼関係が生まれ、表現から遠ざけられてきた人が自分の心の内を感じたり、気持ちを表したりすることができるようになったりできたらいい。その時に、まだ多くの人の目に見えていないものが、気付きとして浮かび上がってくるんじゃないでしょうか。釜ヶ崎に流れ着いた人の中には、公的には「障害がある」と認められていないけれど、コミュニケーションに問題を抱えて生き辛さを感じている人が多くいます。彼らは行政の制度にも守られていない。そんな彼らが依存していく先はできるだけたくさんある方がいい。多くの取り組みを通じて、少しずつ支え合っていくしかないんです。

私たちも色々な活動をしてはいますが、事業としてのしんどさはありますよ。例えば、ここで働くスタッフにたくさんの給料を支払えるわけではないですから。ただ、こういう活動を続けている私が他人から見てタフに見えるとすれば、「すべては引き受けられない」ということを引き受けているからだと思います。場があるから、多くの人たちが参加してくれたから、かろうじて15年間続けて来られたというところです。今、釜ヶ崎では高齢化によってホームレスの数自体は減っていて、再開発が進んでいます。5年もすればこの街は大きく変わってしまうでしょう。その時に、ここで生きた人の声が表現されて、彼らと何らかの形で出会った人の心の中にたねとして残っていくと良いなと思っています。


○Information

NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)
大阪府大阪市西成区太子2-3-3

[NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)お問い合わせ]
info@cocoroom.org

ゲストハウスとカフェと庭 宿泊お問い合わせ]
room@cocoroom.org
tel. 06-6636-1612
ココルーム ウェブページ


関連人物

井出幸亮

(英語表記)Kosuke Ide

(井出幸亮さんのプロフィール)
編集者。1975年大阪府出身。旅や文化・芸術を中心に雑誌、書籍などで幅広く編集・執筆活動を行う。著書に『アラスカへ行きたい』(石塚元太良との共著、新潮社)。主な編集仕事に『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと』(新潮社)、『ズームイン! 服』(坂口恭平著、マガジンハウス)など。