路上の人間の“擦れ合い”に、芸能の原初の形態を見た
(川瀬慈さんのプロフィール)
川瀬慈
1977年岐阜県生まれ。主にエチオピアを中心に、アフリカの音楽文化に関する人類学研究、 ならびに民族誌映画制作に取り組む。人類学、シネマ、コンテンポラリーアートの交差点から、文化の記録と表現における新地平を開拓する。昨年度(2016年)はブレーメン大学、山東大学、メケレ大学(エチオピア)の客員教授として集中講義を担当するなど、近年は国内外で映像人類学の理論と実践にかんする講義を精力的に行う。共編著に『アフリカン・ポップス!――文化人類学からみる魅惑の音楽世界』(明石書店)、『フィールド映像術』(古今書院)等。代表的な映像作品に『ラリベロッチ』、『僕らの時代は』『精霊の馬』、『Room 11, Ethiopia Hotel』(イタリア・サルデーニャ国際民族誌映画祭にて「最も革新的な映画賞」受賞)など。徳島の民謡や岐阜のわらべ歌の伝承と創造をテーマにした新作を編集中。
ギターかついで、エチオピア調査へ
僕が取り組んでいる「映像人類学」とはその名のとおり、人々の日常生活を含むさまざまな文化事象を映像に記録して研究する人類学の一分野です。と言っても、僕も昔からこうした学問を志していたわけではなく、学生時代はバンド少年で音楽漬けの生活でした。大学生の頃はギターを持ったバックパッカーで、各国の路上でいろんな音楽家とジャムセッションを繰り広げていました。カナダのバンクーバーに留学した時にもバーやレストランで演奏したり。留学先のブリティッシュコロンビア大学(UBC)では、文化人類学や先住民研究が充実していたのですが、当時は人類学者になろうなんて思ってもみませんでした。
ただ、移民の多いバンクーバーには、本当に多種多様な民族が住んでいるんですよね。そうした人々と日常的にふれ合う中で、さまざまな人達の生活スタイルや考え方を肌で感じることができた。教科書で習う学問とはまた異なる、身体的な感覚として文化の多様性を捉えることができたことで、人類学に興味が向かっていったんです。その後、京都大学の大学院に行って、一度も訪れたことのなかったアフリカで調査を行うことになりました。かつてのバックパック旅行の延長のように、ギターをかついでエチオピアへ向ったので、周囲の人たちからは「お前は研究者というよりヒッピーみたいだな」なんて言われていました。
生活の中にある芸能を、映像で捉えたい
エチオピアという国の面積は日本の3倍ほどで、その国土に80以上もの民族が暮らし、100以上の言語が存在します。そんな多民族国家であるエチオピアの北部アムハラ州に、ゴンダールという古都があります。かつてエチオピアの首都として、芸術文化が花開いた街。そこで「アズマリ」と「ラリベロッチ」という2つの音楽集団と出会いました。アズマリはかつて王侯貴族お抱えの宮廷楽士でした。儀礼の場などで、馬の尾でできた弦とヤギの皮を貼った共鳴胴からなる楽器「マシンコ」を奏で、歌います。一方のラリベロッチは楽器を持たず、民家の軒先を一軒ずつ廻って合唱をし、人々に祝福の言葉を与えることで、住人からお金や食べ物を施してもらいます。かつて日本にもあった「門付け」の文化ですね。
ラリベロッチは物乞いを目的に家々を訪ねますが、歌い始める前に、まず町内で“取材”をします。どの家が今どういう状況なのか、最近どういう事件があったのか、情報収集するんです。彼らはそれを即興で歌詞に盛り込んで、歌を歌います。「あなたは洗濯屋で成功して財を築いた、神の御加護に預かる素晴らしい人物だ」といった具合に褒め称えて、施しを誘い出すんですね。しかし、住人の方もさるもので、「今日は時間がない」とか「今は親がいないからお金がないんだ」などと言ったりして、要求を上手くかわそうとする場合もある。そこには駆け引きもあれば嘘もあります。そうした“路上”における人々の生々しいやりとりの上に花が咲くように、ラリベロッチの音楽が存在している。その姿に、僕は「芸能」というものの、生活に根差した 原初の形態を見たような気がしました。
もちろん彼らの演奏や歌を、音階やハーモニーなどの面から「音楽学」的に分析することは可能です。それも意義あることだと思いますが、彼らの行為の持つ意味をそれだけで的確に捉えることはできません。彼らの日々の生活の中にある人間同士の“擦れ合い”、それを記録したいという思いから、僕は映像という表現方法を選びました。
“土地のものさし”に耳を傾けること
僕たちは往々にして、アートというものを捉える際、西洋近代的なものさしのみに依拠してその価値を計ってしまいがちです。たとえば、一般的に音楽というものはミュージシャンが自分を表現するものであり、自由な精神の発露だと捉えられていますが、エチオピア北部の人々にとって音楽は「神様からの贈り物」であって、個人の芸術的表現ではありません。北部で大きな影響を持つキリスト教エチオピア正教会の賛美歌や儀礼のための音楽を除き、世俗の音楽は専業の音楽家によって担われるべきものであると考えられてきました。これらの音楽家はアーティストではなくクラフツマン、つまり「職能者」の集団。代々続く伝統的な家業であり、社会的に被差別的な地位にあります。
彼らの中で重要なことは、「歌い手がいかに相手を良い気持ちにさせ、高揚させられるか」であって、我々が歌唱を評価する際によく使われる「美声」だとか「音程が安定している」とかいった価値基準は当てはまりません。たとえ僕らの耳で聞いて、いわゆる“音痴”に聞こえる歌だったとしても、人々の心を動かし、施しを引き出すものであれば、それは彼らにとって良い歌になる。そこでは僕らが普段、素朴に考えているような、「音楽性が高い/低い」、「良い/悪い」といった判断を安易に下すことはできない。つまり、自分が認識しているアートや表現という枠組みそのものを問い直し、ハンマーで軽く打ち壊したあと、その“土地のものさし”に耳を傾ける態度が必要だと思います。そうした上で、改めてその枠組みを組み立てながらまた考えるのが私たちの研究なのだと思います。その意味で、僕はまだ彼らの行動や思考を理解する上での玄関に立っているに過ぎない。この作業には終わりがないと思っています。
そのように、世界には多種多様な「ものさし」があるわけですが、僕は常々、その差異を埋めることを焦る必要はない、と考えています。まったく違った文化的背景を持つ人々が即座に「分かり合う」必要はないし、また分かり合えるとも限りません。「認識にギャップがあるのは残念なことだ、それをすぐに一致させよう」とばかり考えるのでなく、その違いを楽しみながら、立ち止まり、じっくり観察して、お互いに考えていくこと。映像人類学者として、そうしたコミュニケーションの過程に寄り添い、それを記録しながら研究活動に反映していきたいと思っています。