紙の概念を覆す、美しく精巧な断片
シュシュシュシュシュシュシュ、チョキン。シュシュシュシュシュシュシュ、チョキン。熊本県熊本市に住む自閉症のアーティスト藤岡祐機さんは、作業机の前に腰掛け、よく眺め触りながら紙の目の方向を確かめ、まっすぐにハサミを入れる。手前に置かれた椅子を片足で揺らし、リズムを刻みながら。1分も経たないうちにその紙は糸のように美しい等間隔の繊維状に姿を変えていく。空気をはらんだ紙の繊維は、ひとりでにうねりだし、作品に神秘的な躍動感をもたらす。
2歳の頃から紙をちぎったりすることが好きだった彼が、ハサミを握り、作品を作り始めたのは、6歳になってから。ハサミで切り落としたさまざまな形をコラージュした作品群は、熊本市現代美術館の開館記念展「ATTITUDE 2002」に出展された。自主的に公募展に出したことは一度もないと、祐機さんの母・浩子さんは話す。
「本当にたまたまなんですよね。小学校の先生が祐機の作品を捨てずに飾っていてくれたことをきっかけに『ATTITUDE 2002』に参加させてもらう機会を得たり、中学生のときに1週間だけ実習で行った施設の方が額装してくれていたことからスイスの『ART BRUT JAPAN SCHWEIZ』にも出展されることになったり」
2004年頃から、紙に櫛のように切り込みを入れる今のスタイルへとシフトしていく。初めは4mmくらいだった、その幅は年々細くなっていった。素材となるのは、「ATTITUDE 2002」のチラシ、チラシをクレヨンで塗ったもの、カラフルな折り紙、無地の印刷紙などさまざま。
「当時、熊本市現代美術館長の南嶌宏さんが、『作品に嘘がない。無意識に好きなものを切っているようで、実は意識的に切っている。進歩しているし、すごく面白くなりそうです』と言ってくれたんです。一見、これは糸なのかなと思いますよね。紙なんだとわかるまでに時間がかかる。だから、見た人は、どんな風にこうなるのかと不思議に思うんですよね」
マインドを整えた夜から、制作は始まる
洗濯物を干すのは、祐機さんの仕事だという。リズムを刻むように丁寧に洗濯物を物干し竿にかけていく。制作を開始するのは、毎日のルーティーンの締めくくりとなる夜更けの時間だ。昨年の10月からの習慣として、父・祐一さんと浩子さんと三人で健康のために夜の散歩をするようになったという。冬でも雨でも、毎日欠かさず続けている。
9時前後になると、近所のランニングコースへ行き、歩き終わると三人で写真を撮り、一人暮らしをする姉に送る。帰宅しシャワーを終えた祐機さんは、リビングでテレビを見たり、大好きなクラシックやジャズのCDを取り出しては聴き、また曲を変えて、を繰り返す。
目を閉じてあぐらをかき、音楽のリズムに合わせて目を閉じて円をかくように体を揺らす祐機さんは、心地好さそうに見える。この一連の動きが、作品と集中して向き合うためのマインドセットにも思える。だいたい深夜1:30頃になると、自分の机の前に座り、30分ほど作業を始める。気づけば時計の針は2:00を回り、もう眠る時間だ。
祐機さんが暮らす一軒家は、玄関、壁、いたるところにこれまでの作品が飾られている。家自体が、祐機さんのギャラリーそのもののようだ。そして、額の裏側には、そのときの祐機さんの記録が浩子さんの言葉で綴られている。
「切ってみたら面白かった、どこまで細く切れるのかという感覚で今まできているんじゃないかと思います。本人は、美しいと思ってやってるのかもしれない。コラージュを作っていたときは、廊下や枕の上で、彼なりにレイアウトを考えてデザインしていたんです。だから私はそのままのレイアウトを壊さないようにそこへ額を持っていって、額装して。祐機の作ったものは、アート作品というよりも、祐機の好きなことであり、祐機の友達みたいな感じ。だから、大切に取っておきたいんですよね」
まるで楽器を弾くかのように一定のリズムを刻みながら、精巧にハサミを操る祐機さんは、時折微笑んでいるように見えた。