誰かの“あるがまま”に触れて、
自分の“あるがまま”を思い出させてくれる場所
そっちを見ますと、青白く光る銀河の岸に、銀いろの空のすすきが、もうまるでいちめん、風にさらさらさらさら、ゆられてうごいて、波を立てているのでした。
—–宮沢賢治『銀河鉄道の夜』(青空文庫)より
作家の宮沢賢治が生涯を過ごした岩手県花巻市は、街のいたるところに氏の作品の世界観が広がる文学的な街だ。〈るんびにい美術館〉のある星が丘地区には、夜になると『銀河鉄道の夜』で描かれた幻想的な星空が広がる。
「同郷の宮沢賢治さんの作品にゆかりがあると思っている方も多いようなのですが、『るんびにい』という名前は、仏教の開祖・釈迦の生誕地の地名である『ルンビニー』から命名されたものです。この美術館を運営している社会福祉法人〈光林会〉というのが、同市内にある光林寺というお寺が母体になっている団体で、知的障害児施設として約50年前に開園し同団体の発足のきっかけにもなった〈ルンビニー学園〉や障害者支援施設〈ルンビニー苑〉など主要な施設の名前に使われてきました」
そう話すのは、アートディレクターの板垣崇志さん。2007年に岩手県で初めて知的障害や精神に障害のある作者が創造してきた表現作品を中心に常設展示する美術館として設立された〈るんびにい美術館〉の立ち上げ時から運営に携わってきた。
「まずは1階にある『ボーダレス・ギャラリー』。ここでは利用者の作品の常設展示のほか、全国のさまざまな作品を展示する企画展を開催しています。今日はちょうど利用者の(八重樫)季良さんと(佐々木)早苗さんが初めてキュレーションに挑戦した『きよしさんさなえさんならこう展示するそうです!』という、うちでも初めての試みの企画展を開催中なんですよ」
ドローイング、コラージュ、切り絵、織物、書……。カラフルな原色、パステル、モノトーン……。ふたりが手作りした展示プランの小さな模型を中心に、それぞれがイキイキとしていて、スタイルやモチーフの全く違う利用者の作品がところ狭しと、それでいて不思議な一体感を持って展示されている。
「ここにあるのは、周りのことも自分のこともすっかり忘れて、ただ一点を深く見つめることから生まれた『あるがまま』の、命の輝きがそのまま伝わってくるような表現たちです。美しかったり、型破りだったり、謎だらけだったり。誰かの『あるがまま』は、自分の『あるがまま』を思い出させてくれると思うんです。そんな表現たちを、ここではかりそめに『ボーダレス・アート』と呼んでいます。障害者と健常者。大人と子ども。男性と女性。国、人種……。私たちの心は、たくさんのものを区別します。世界は無数の『ボーダー(境界)』でできているようですが、心の中からすべてのボーダーを消し去ったら、そこに残るのは命の輝きだけなのかもしれません。だからこそ『ボーダレス・アート』は、観る人の心の中の境界や壁を取り払うきっかけなになるのだと思います。とは言いながら、今回の企画展をやってみるまで、どこか無意識に『表現をする人』と『展示を考える人』の間に境界を作ってしまっていたみたいですね。季良さんと早苗さんのキュレーションのおかげで、これまでとはまた違った視点で作品を観ることができました!」
誰でもウェルカム。
「ボーダレス」を実感できる創作の家
板垣さんに説明を受けながらギャラリーを見学していると、気づかないうちにガイドが一人増えていた。〈るんびにい美術館〉の名物ガイド、千田恵理香さんの登場だ。
「2階にあるアトリエは、〈こころと色の工房まゆ〜ら〉という創作グループが利用しているのですが、メンバーは〈光林会〉の入所施設やグループホームを利用している方たち。彼女は『盛り上がっている場所には必ず恵理香さんあり』と言われるくらいで、人との活気あるやり取りが大好きです。彼女はもともと創作活動に興味はなかったようなのですが、メンバーの作業を観察しながら、今では織物や絵を描き始めるようになったんです。まあ、ガイド活動の方が本業かもしれませんが(笑)」
まるで「うちに寄ってきなさいよ」という感じで恵理香さんに先導され、アトリエにお邪魔すると、まずは明るくて開放的な空間に驚かされた。ゆったりとした空気の中で、板垣さんをはじめとするギャラリー担当の職員と生活介護所の職員のサポートのもと、メンバーたちがそれぞれのペースでそれぞれの創作に没頭している。そして、さらに驚かされたのが、アトリエは誰でも自由に見学が可能で、休館日と土日を除く午前中は一般に公開されているということ。
「『あるがまま』の表現をより深く体験してもらうために、それらが創造される現場も覗いてみてほしいんです。怒りっぽい人、とにかく創作に没頭している人、飽きっぽい人、話好きな人……。コミュニケーションを取りながら、ユニークな作品が生まれてくる過程に触れると、自分と向き合うきっかけになったり、なぜだか元気が出てきたりするんですよね」
この日、創作に励んでいたのは、〈るんびにい美術館〉創設のきっかけになった最古参のアーティストでキュレーター・デビューしたばかりの八重樫季良さん。自宅や自家用車などをモチーフにした美しい幾何学模様の絵画を半世紀近くに渡って描き続けている。
季良さんの同僚キュレーターであり、織物、コラージュ、切り絵、刺繍作品、ボールペンやサインペンによるドローイングなど、数カ月から数年のタームで作風を変え続ける佐々木早苗さん。『ブラックジャック』に登場するピノ子のようないでたちが可愛らしい。
糸をハサミで切り、もう一度結び直すという作業を永遠と続けることで作られる不思議な造形物を創る似里力さん。ビートルズやスピッツなどの音楽を聴きながら、文字を独特のルールで即興的に変形させて描く、カラフルな作品が特徴的な小林覚さん他、多種多様な個性がそれぞれのペースで、時にお互いコミュニケーションを取りながら創作活動を行っている様子を目の当たりにすると、不思議と「ボーダレスってこういうことかも」とスッと実感が湧いてきた。
誰かの物語に触れて、
自分の物語が生まれてくる
「もちろん、最初からこういう環境が整っていたわけではありません。まだ美術館の構想もなかった20年前にこの法人で造形表現活動の支援に携わるようになったのですが、当時僕は福祉の仕事の経験もなければ特に興味も持っていない、ニートだったんです」。それも、心理学を学んだ後、また大学に入り直して美術を学んだにもかかわらず、ぶらぶらしていたスーパーニート。「(運営団体の光林会の母体である)光林寺の檀家の息子で、美術と心理学をやったニートがいるらしい」という噂を現在の理事長が聞きつけて、声を掛けてくれたのだという。
「最初はお寺の墓掃除のバイトかなと思い軽い気持ちで会いに行ったら、季良さんの絵を見せてもらったのですが、本当に衝撃的でした。みなさんのお手伝いをしたりしながら創作の様子を見るようになって、抽象的ですけど、それまで自分が追い求めていた美術の形に近いものが彼らの表現の中にあるんじゃないかと思うようになった。それからは、自分で描くのではなくて、彼らの創作のサポートをしたり作品を紹介したりすることでも実現できるということに気づいて、今に至るわけです。もちろん、紆余曲折あって、ニートに戻ろうかと思ったこともありましたけど(笑)」
そんな板垣さん、彼を見出した理事長、そして季良さんや早苗さんを始めとするボーダレスな仲間たちが童話の街・花巻で出会って生まれた〈るんびにい美術館〉。ここから、自分の“あるがまま”を思い出させてくれて、ボーダーにまみれた“常識”に変わる新しいストーリーが毎日生まれ続けている。
誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸せなんだねぇ
—–宮沢賢治『銀河鉄道の夜』(青空文庫)より
Information
社会福祉法人光林会るんびにい美術館
岩手県花巻市星が丘1-21-29
TEL : 0198-22-5057
るんびにい美術館 ウェブページ