今回の共演者
畑中亜未
HATANAKA Tsugumi(1973〜)
1973年生まれ。北海道在住。実家とグループホームで暮らし、制作は休日に自宅で過ごすとき。小鳥、花、電車、おすもうさんなどをモチーフに描く。光に対して興味をいだいていた時期があり、水銀灯、提灯、星などを描いていた。2009年「北海道のアウトサイダー・アート展」(旭川美術館)、2010年「アール・ブリュット・ジャポネ展」(パリ市立アルサンピエール美術館)、2014年「TURN/陸から海へ展」(みずのき美術館など)などに出展。
この作品を見て、ふっと頭をよぎったのが、以前、タイへ撮影に行ったときのこと。ずいぶんといなかで、山の上に行ったのですが、そこに1本電柱が立っていたんです。
その電柱までは、山の下から電線が渡っているけれど、その先には電信柱も電線もない。つまり、電気はまだ来ていない。そんな電信柱を見たことがあるんです。
このときに想像した物語があるんですね。それが、電気が来た家と、まだ来ていない家がある村のお話です。
電気が来ている家には明かりがともっていて、夜も暗闇ではなく生活ができる便利さを享受している。この家には女の子が住んでいるんですけど、彼女と大の仲良しのお友達の家にはまだ電気が来ていない。だから、夜になったらすぐに寝ちゃわないといけない。
でも、電気が来ている家の子は、夜遅くまで起きて、明かりの下でいろんな遊びを楽しんでいる。昼間、電気が来ている家の子からその話を聞いて、「電気っていうのはいいもんだなぁ」って、電気が来ていない家の子は思うんです。
もちろん村には「電気が来てほしい」と思っている人が、ちらほらいるのね。でも、「来るまで待つしかない」とあきらめちゃっている。だって、いつ来るかわからないから。
そんなとき、山の麓に電気屋さんができるらしいよという噂が駆け巡るんです。まだ、電気が来ていない山のてっぺんにまで。それと同時に、「延長コード屋」という商売を始めたやつがいるらしいという噂も届きます。電気屋になれなかった電気屋崩れの男が稼いでいるらしいと。
そうこうしているうちに、とうとう山の上の村にも延長コード屋がやってきて、電気が来ている家の近くの電柱に延長コードを差し込んで、電気をほしがっている友達の家に電気をもたらしました。何十メートルもの延長コードをいくつもつないで。
電気がつくと夜でも遊べるようになったから、電気が来ていなかった家の子は大喜び。「延長コード屋さんはすごい」という話でもちきりになり、延長コード屋は村中で引っ張りだこになりました。
でも、意外と高いんですよ、延長コード。
高いのだけれど、電気のためとなればと、みんな金を払ったんです。
実はこの村には鉱山があったのですが、夜になると暗いからと仕事がおしまいになっていました。でも、延長コードのおかげで、電気のカンテラが灯り、こうこうと坑内を照らしだすようになったので、夜中でも仕事できるように。男たちは働きに働きました。
働いたあとは飲み屋に行きたいだろうということで、今度は、村に赤提灯が灯る飲み屋ができたんです。
最初一軒だった赤提灯は、二軒、三軒と増えていって、村はどんどんにぎわっていきました。延長コードのおかげで。
時が過ぎ、とうとう山の上の村にも電気がやってくる日が来ました。電柱が設置され、電線が渡され、それぞれの家に電気が灯りました。となると、延長コードが必要なくなります。
すると、また延長コード屋がやってきました。自分で売った延長コードを村人たちから買い取って、まだ電気の来ていない別の村にもって行って商売しようという算段なのです。
延長コード屋は、こうして何度でも売買を繰り返して儲けようとするあこぎなやつなのだけれども、電気が届いてない村を回って金を稼いでいるうちに良心が痛んできた。電気が灯って素直に喜んでる子どもたちを見て心がうずくのね。
「こんなことで儲けちゃだめだ」
そんな気にさせたのは、この商売がもともともっている「人の弱みにつけこむ」よこしまな性質です。つい始めてしまったけれども、ずっと心苦しかったのです。そういえば、村人たちは「あいつは貧乏神のような縁起でもない顔をしている」と言ってましたっけ。
延長コード屋は価格を改定して、日本でいうところの100円で売った延長コードを、80円で買い取ることにしました。原価は20円だから儲けはありません。
さらには、最初に延長コードを売った村に何かお返しをしなきゃいけないと思うの。それで、村で初めてとなる街灯をプレゼントしたんです。
延長コード屋から街灯が贈られたことで、村には広場ができました。
その街灯があるおかげで、広場には夜になっても明かりが灯り、村人たちはいろんなことを語り合ったり、友情や愛を深め合ったりして、村は名実ともに潤って、豊かになっていきました。
……というところまでは延長コード屋は知らないんだ。ただこれをそっとプレゼントして、また別の山に行ってしまったから。
電気の延長にともない、延長コード屋は、それ以降もまだ電気が来ていない地域を見つけちゃあ、延長コードを持っていきましたが、ある日、とうとう廃業してしまいました。延長コード屋の知る限り、村々に電気が行き渡ったからです。
みんなが電気のある明るい暮らしになったのを喜び、延長コード屋だった男は自給自足しながら畑で汗をぬぐっていました。そうこうするうちに隣の畑の農民の娘と所帯をもち、子が生まれ、時は過ぎ、孫が生まれました。
その孫が思春期を迎えたころ、世の中は空前の延長コードブームに沸いたのです! なんといっても様々な電化製品に加えてインターネット時代の到来。パソコンにつなぐコードにコード。それに加えて従来の電化製品のコード。どの家庭もコードで絡まってます。それを一気にまとめる延長コードの威力。
孫がすっかり老人になった男に、
「ジイちゃん、俺、延長コードで一旗あげてくっから!」
と宣言したとき老人は答えました。
「孫よ、コードは110円で売れよ!」
(おしまい)
<<イッセー尾形の妄ソー芸術鑑賞術>>
俳優、脚本家、演出家として、ひとり舞台で日々新たな世界を生み出すイッセーさんに、妄ソーを楽しく行うためのコツをうかがいました。
無責任から責任が生まれて、物語は動き出す
この作品を見て、改めておもしろいなと思ったのが「電球」なんです。考えたら電球って、この世界に生まれて成長していくなかで、最初に出合う「文明」のひとつですよね。
電球の下でうごめいている赤ん坊の時代、それをいつも見上げていた。そういうなじみ深さがあると感じるから、こうも電球に惹かれるんでしょうね。
妄想をするときは、そんな「無責任」な思いつきから始まって、今度は責任をもって繰り広げていくんです。この裸電球にどう物語をつけていくかを。
作品をつくっている彼らのことを直接知ってはいないし、作品が生まれた背景や根拠もわからない。そういう意味で、彼らは遠くにいる人たち。だからこそ、なにを想像してもいいし、なにをやってもいいと、無責任になれる。
でも、そうしたことを無責任に思いついたからには、責任をもって広げて追求していく。無責任から責任へ向かう楽しさがあるんですよ。創作するということは。
つくることによって「責任」が生まれます。責任って創作するうえでは、必ずついてくるんです。「その先を進めたい、進んでいきたい」と思うのは、ほかの誰でもない自分なのだから、自分の言葉で進めていくことになる。創作の最中にいるとき、自分では「責任」を意識してないかもしれないけど、他人から見ると「責任をもってやっているね」となる。
出合ったときに、「なんかおもしろいなぁ」と思ったとき、無責任なおもしろがりかたは始まっている。これを自分なりに進めてみようかなと思ったとき、責任を持ちはじめている。人から見てね。それの連続ですよね。
ということは、僕がつくったものを、誰かが見たことで、無責任に触発されて、責任をもってつくってもらったっていい。そうしてつながっていくと、「無責任」と「責任」の大きな円環図ができるんです。
それは、絵でもいいし、音楽でもいいし、なにかが生まれて、大きな輪になったらおもしろいよね。
どっちつかずの場所に身をおいて、そこで生まれる議論や葛藤をおもしろがる
今回、昔タイの山奥で見た、一本の電柱を組み合わせることで物語が動き出しました。
辺境が好きなんですよ。こっちは文明に染まっているけど、こっちは染まっていない境目のところ。ここに興味があるんです。どこまでが未開で、どこからが文明なのか、かかわっている人同士が「これはそっちだろう」「いやいや、それはこっちに違いない」と議論する余地がある。もちろんふたりで言い合うだけでなく、自分ひとりのなかでだって、こうした葛藤や対話は生まれます。
創作するとき、大きくみたらダイアローグになっていることが多いんです。モノローグだとどうしたって限界があるけど、違う人の言葉が入ってくると、広がったり、別の方向に行ったりができるので。
文明なのか、未開なのか。私としては、その境目、辺境にもっていきたいんです。文明のなかに入ってしまえば悩まないですむ。だけど、文明といえるのか、それとも未開なのか、どっちともいえない両生類的なところってあるでしょう、そこがいちばんおもしろい。どっちともいえるし、どうとでもなる。そして人の意見も聞きたくなる。
今回の延長コードは、その両方をつなぐ橋渡し役。文明といえば文明といえる道具で、辺境に風穴をあける。庶民の力でどうにかしちゃう。そういうのが好きなんだと思います。
もんもんと考える意識とともに妄想はある
そういう創作活動って、ほとんどは気づかないでやっていますけど、「何が生まれたか」より「どうやって生まれたか」のほうに断然興味がある。
そうしたものを「創作過程」とはいうものの、その創作が「いつ生まれたか」という点でいうと実は測りようがない。はっきりしたものと、はっきりしていないもの、その両方とともに私たちは生きていますから。はっきり形にして、人に伝えられるものなんてごくごくわずかで、もんもんとしている時間のほうが長い。でも、そういう隙間のほうが、人生ではうんと多い。
こないだ気づいたことなんだけど、「意識には空白がない」んですよね。つねに「意識」して生きているでしょ。私たちは。寝ているときはないにせよ、起きている間はずっと意識がある。意識をこれだけしてみましたというんではない「意識」が。退屈だと思っているときだって意識がないわけじゃない。そうすると、人間は誰しもすごいことをやっているんだなぁって思います。休まないんだから。
どうしてそういうことを思ったかというと、役者として舞台の上での「意識」について考えているからなんです。おれなんかは、たとえば「今この台詞を言ったら、お客さんはどう思うかな」「次はあれを言うんだけど、まぁ言ってみようかな」「言ったらこういう反応だった」と意識の点は数えるくらい。
でも、人間が常に意識していて、その意識には空白がないということを考えると、そんな少ないことってありえない。もっと意識しているはずなんですけど、自分で認識する「意識」の数が少ないし、どうしても増えないんですよ。舞台の上で。
「意識していることを意識する」という哲学用語があって、人間は誰だってそれをやっているんですけど、役者という職業をしているからには、それを意識的に増やして、もうすこし厳密にやったほうがいいなと思っているんです。
……というような普段考えていることも、創作を動かす糧になるし、そんな無責任の中から責任が生みだすことができる。
電球に惹かれて、それをおもしろいと思ったら、なぜそれに惹かれたかを考えてみる。すると、子どものころ見上げていたという体験に基づいていることに気づく。そういう体験と混ざり合うから、やっぱり最初は無責任であるのだけど、それらにどんどん焦点があってくると、語りたくなる衝動が起きてくる。そうした過程が、「責任が生まれてくる」ということなのだと思います。
*イッセー尾形の「妄ソー芸術鑑賞」の連載は今回で終わりになります。みなさま、楽しい妄ソー世界とお付き合いいただき、ありがとうございました。